由来記
今を去る約1200年前延歴年間(782年〜806年)に、征夷大将軍坂上田村麿呂が東征のおり、京都清水寺よりとして観音像を受け、烏帽子の中に捧持しての途についた。
連日連夜の苦難を続けながら当地方に到着した折、一夜「近くに霊泉がある」との観音様のお告げにより、この温泉を発見し、部下将兵の創痍に霊効あったと伝えられている。
志戸平の地名はアイヌ語によると言われ、「しど」とは川しもの意で古書には「尻戸平」「志戸臺」等とあり、明治年代迄「しだで」と訛って言っていた。
昔は温泉風呂は対岸の洞窟にある「まどの湯」の自然風呂だったが、明治24年に下流の灌漑用水を取水の柵により、川の水位が上がり使用不可となって上流岩盤の麓の「わらびの湯」を敷地内に引き湯した。
その際「まどの湯」に祀ってあった龍神大明神の本尊を本神社を造営してした。
明治年代神仏混淆により、薬師如来を合祀した。依って例祭は神式により4月8日と10月8日に行われている。
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