酒造店 井筒屋(いづつや)跡
この地に明治39年まで井筒屋という酒造店があった。
井筒屋の祖先は紫波町上平沢で酒遺業を堂んだ村井権兵衛(志和近江屋の祖)の養子の唯貞で隠居後、当時交通の要地であった郡山(日詰)に出店を設け、権右衛門を称して井筒屋を名乗った。
元禄3年(1690)に権右衛門は京都で質屋を営み、江戸でも連絡店兼質屋を開いた。以来、小野姓に復して指揮総覧し、京都−南部間を往来した。
小野家は維新後、本店を京都から郡山に移し、明治29年に8代目権右衛門慶善の時、郡山から石鳥谷に移した。
小野家が石鳥谷で初めて酒遺業を営んだ年代似明らかでないが、本店を石鳥谷に移す前までは使用人や別家によって酒造りが行われていた。幕末期頃の同家の家屋と店舗は京都や大阪、盛岡、郡山、石鳥谷などに十数ヵ所あったといわれる。
同家は当町で「七福神」という銘柄を造って売り出したが、明治39年に廃業した。「七福神」の銘柄は菊の司酒造(株)七福神工揚が引き継いで現在に至っている。
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