松林寺地蔵堂(子安地蔵)
地蔵菩薩半跏像
松林寺は寺伝によれば、仁寿元(851)年の創建で第55代文徳天皇の后、染殿が清和天皇を懐妊した際、地蔵菩薩の功徳により安産を得、国内66州に各一体の子安地蔵尊を安置した一ヶ寺といわれる。
盛時には境内が東西約五百間(約910メートル)南北三百間 (約546メートル)の広さで、南勝寺、下ノ坊、西ノ坊、南ノ坊、北ノ坊等の付属寺院を有していた。南勝寺は供物を司り、その他の寺院は参詣人の居住する方位によって案内を行った。
絵馬「唐子遊戯図」
安産・子育ての地蔵様として一般庶民の信仰厚く、旧暦6月23日の縁日には近郷近在はもとより盛岡や雫石・胆沢江刺方面、遠くは仙台・秋田方面などからも参詣者があった。境内には市も立ち、多くの参拝人や買物客で賑わった。
天文年中(1532-1554年)に野火により堂宇のすべてを消失したが、別当小田嶋六位の度々の懇請により、慶安5(1768)年盛岡藩二代>藩主南部重直が大旦那となって地蔵堂が再興された後、明和5(1652)年に建替えられ現在に至っている。
藩主南部氏からも厚く保護され、慶長11(1606)年8月には花巻郡代北松斎より稗貫・和賀両郡の霞(なわばり)が認められ、同17年6月には南部利直より寺領三十石の寄進状を賜った。
堂内には土製の地蔵千四百体あまりが安置されているほか、藩御抱え絵師狩野体意(かのうきゅうい)、花巻三画人町中の小野寺周徳(おのでらしゅうとく)・八重樫豊澤(やえがしほうたく)などの絵馬が掲額されている。
絵馬「布袋唐子遊戯図」
|