■■■ 鳥谷崎神社周辺 ■■■



鳥谷崎神社周辺
※地図上の記号をクリックしてください。

【地図】
花巻市街地の真中にある高台全域がが花巻城跡地。その東部に北上川を見下ろすようにある鳥谷ヶ崎神社とその周辺です。専用の駐車場は参道を少し南に入ったところにあります。そこから南側参道は石段となります。その横の車道はとても細く、急斜面なので通行には注意が必要。※観光地ではありませんので静かに見学してください。特に内部保存物は一般公開されているものではありません。

【地図内地名・施設名】
鳥谷崎神社(とやがさきじんじゃ)、円城寺門(えんじょうじもん)、千本カツラ
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(春の風景)

【鳥谷崎神社】建築物1
鳥谷崎神社は、領内鎮護・荒土開発の守護神としてお祀りしたことに始まりその年代は詳らかではない。その後、鳥谷崎城(後の花巻城)の守護神として城主や城代に信仰され、花巻開町依頼続いていた例祭には、ご城内をご用留め(休日)とし盛大な祭典を開いた。これが、今日まで「花巻まつり」として受け継がれています。(右側画像はカメラ2の参道石段)
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(秋の風景)



(春の風景)

【千本かつら】花巻市有形文化財 樹木1
谷村電子専門学校の裏手にある、円城寺観音堂境内にある樹齢数百年の千本桂。このお堂の歴史を無言にうちに物語っています。秋には黄色く色づき晩秋には散ってしまいます。
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(秋の風景)



【円城寺門】花巻市有形文化財(建造物) 建築物2
花巻城往時の威容をつたえる唯一の現存建築物として重要な文化財となっています。1614年花巻城主の南部政直公が、和賀氏の二子飛勢城大手門の現在を引き上げ、花巻城三の丸搦手の円城寺坂に建てたもの。現在は鳥谷崎神社正門のよこの社務所入り口に位置していますので、神社も拝んでいきましょう。
建築物としては、屋根は木羽葺反りのない切妻造りで、箱棟の両端には鬼板をのせ(現在は取り外して保存している。)妻に梅鉢形の形魚をつけてある程度で、全体的には地方情緒を生かした素朴な建築美を発揮しています。
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【鳥谷崎神社御社殿本殿】カメラ2
現在鞘堂内部にある本殿は花巻生まれの名匠高橋勘二郎の作とされる見事な彫刻が施されています。※松庵寺周辺参照
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【本小札藍革毛引威胴丸】県重要文化財指定 カメラ1
南部家十四代大膳太夫義政公が足利将軍義教の名を奉じ1439年「永享の乱」に着用した、いかにも総大将の感をいだかせる胴丸(甲冑)です。普段はしまい込んでいるため見ることはできません。
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【乗用駕籠】カメラ1
徳川十五代将軍慶喜公の姉「松姫」が南部家に水戸藩から嫁いだ際に乗ってきた駕籠。総黒漆塗りに葵の御紋が施され、内部には花鳥図の絵画が描かれています。
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【花巻城遺品】カメラ1
その他、花巻城の遺品として花巻城本丸の釘かくし・時の太鼓・屏風などが神社内部に保存さてれいます。
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【宮沢賢治歌碑】石碑1
「方十里 稗貫のみかも 稲熟れて み祭三日 そらはれわたる」昭和8年当時、鳥谷崎神社の祭礼「花巻まつり」は9月の17日から19日の三日間でした。賢治は町内を練り歩く御神輿を楽しみ、21日に亡くなりました。もう一首と共にこの歌は絶筆と言われています。
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【高村光太郎詩碑】石碑2
「綸言一たび出て一億號泣す。」で始まる「一億の號泣」は鳥谷崎神社社務所で、光太郎の感情を表現した詩であり、その詩碑が境内に配されています。
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【鳥谷崎神社北面】建築物3
皆気づきませんが、鳥谷崎神社の北側が立派になっていますので見に行ってみてください。北側道路から見学できます。
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【延寿寺(円城寺)観音堂】建築物4
円城寺は1673年頃御田屋町の現在地に移転されたが、その跡地に花巻城の永続安泰の祈願所として観音寺を建立、その鎮守として延寿寺観音が祀られたもの。また、当国三十三番観音の二十五番札所であり、花巻七観音参りの一つとして隆昌していた。縁日は宵宮が7月17日、年越祭が12月17日になっています。(右画像が入り口部分)※隣接東側地図参照
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