■■■ 三郎堤周辺 ■■■


※地図は只今作成中


【環境】
市内より約8qほどの東の地域。農村地帯です。特に駐車場は必要ありませんが、三郎堤には二カ所ほど専用駐車場があります。しかし、JR釜石線小山田駅方向からは堤への進入口はありません。



【三郎堤】カメラ1
花巻市矢沢地区は、幸田地区よりの自然流入を用水源として、古志族で開拓された地区である。平安時代の末期文治五年(1189年)に奥州の王者、平泉の藤原泰衡公が源頼朝によって滅ぼされたと時、その弟泉三郎忠衡公は平泉を逃れ幸田に落ちのびた。

忠衡公は開拓に志を立て、四人の従臣を「おそ込沢」「牡丹平」「下西沢」「三ツ口」の四カ所に配置し、十余年に及ぶ歳月を費して三つの堤が築造されのが「三郎堤」であると(古い地形図では三郎堤は三連ため池となっている。)伝えられ又この工事の安全と早期完成を祈願して、ため池近くの小高い森に八雲の大神を祀った聖地がある。

建久三年(1192年)藤原氏滅亡により鎌倉御家人の配領として、この地は稗貫氏から稗貫郡と称し中山五郎為重が当郡を領した。後に南部藩領となり、享保二十年(1735年)に南部領内十郡を三十三通りに制定されこの地を安表通りと称し、三郎堤の修繕管理に当たったと云う。

爾来藩政時代・明治・大正と数百年に渡り矢沢百二十三町歩に及ぶ美田を潤して来たのであるが昭和に入り、三郎堤の荒廃甚しく、漏水も激しいため昭和四年農村復旧対策事業として引続き利用されることとなった。その後昭和二十九年北上川総合開発計画の一環として、田瀬ダムが築造されるに及び、三郎堤は、矢沢地区の用水補給源とさいて引続き利用されることとなった。

しかし、昭和五十年代に至り、防災的見地から、ため池の全面整備の必要に迫られ猿ヶ石北部土地改良区、花巻市、岩手県の調査により、昭和五十四年岩手県営ため池等整備事業として着工、工費二億余円を投じ昭和五十八年に完成、三郎堤八百年の歴史に花を添えた。
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【ハナショウブ】花1
この護岸には時期になるとアゼスゲ、カキツバタ、ノハナショウブなどが群生地して咲きます。たまにその護岸で釣りをしている人を見かけますが保護の観点からやめましょう。
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【ハクチョウ】カメラ2
この堤には初冬になると白鳥が飛来して一時羽を休めます。日祭日になるとエサを与えにきている親子連れをよく見かけます。エサはパンが最適。センベイはだめなようです。しかし、真冬になると湖面全体が氷に覆われますので違う場所へ移動していきます。
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