■■■ 北上川・豊沢川合流地点 ■■■


向小路同心跡/桜町郵便局 「ドイツトウヒ」賢治手植の樹 「盛岡工兵第八大隊」演習場兵舎跡 「伊藤鶏路」二月庵跡 豊沢川「下水道橋」 北上川堤防公園(南側) ホレスト 北隣/里川口、高田周辺 南隣/賢治詩碑、同心屋敷周辺 西隣/諏訪町、桜町西部周辺
【地図】
北上川・豊沢川合流地点の北側は高田地区、南側は桜町東部。桜町東部は住宅地域で観光地はなし。ただし、北上川を望む風景は見る価値は十分あります。

【地図内地名、施設名】
高田(たかだ)、桜町(さくらまち)、花巻勤労者体育館、花巻市市民プール、桜橋(さくらばし)、豊沢橋(とよさわばし)、佐久山医院(さくやまいいん)
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【バス停】
1.緑が丘(みどりがおか)
2.桜町2丁目
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【北上川堤防公園(南側)】公園1
豊沢川にかかる国道4号線の橋が桜橋。そこからイギリス海岸まで堤防上が遊歩道のある公園でつながっています。所々に鉄道部品が置かれ「銀河鉄道の夜」をイメージされています。
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【豊沢川合流の風景】風景1
北上川に豊沢川が合流している地点です。春にはこの河川敷にたくさんのヒバリが空高く舞い上がり大きな声で鳴いています。橋は下水道水を対岸にわたす専用橋で、夜間ライトアップされています。
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【俳人「伊藤鶏路」二月庵跡】木標1
「花巻地方俳壇の祖伊藤鶏路、寛延元年(1748年)花巻城下に生まれ、長じて花巻城の医師を勤む。
明治年間この地に庵を結び、二月庵と号して俳句を究め、蕉風を説く。門人宗匠と仰ぐ。
文化十五年(1815年)67才にて没す。」

現在、傾斜地であるため周辺は何も残っておりません。それと桜町側からの下水道橋です。
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【向小路同心の跡】木標3
「延宝八年(1680)この地に「向御組同心」として花巻城より移り住む。のちに「向小路同心」と称す。その戸数三十戸、街道をはさんで東西に各十五戸を配す。同心屋敷はこの地を中心に南北百間(約180メートル)区間にあった。
「向小路同心」のおもな任務は花巻城の勤番・伊達藩との藩境警備・豊沢川の渡渉監視・街道筋の治安維持などである。」

現在この場所は桜町郵便局になっています。いろいろ賢治と関係深いこの地であるため、賢治関係の手作り作品など地元民のため、小さいながらギャラリーとして利用されているようです。
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【「盛岡工兵第八大隊」演習場兵舎跡】木標2
「かってこの地に盛岡工兵第八大隊の架橋演習場兵舎があった。
明治四十一年、当時の根子村・矢沢村・花巻川口町・花巻町が共同で六千坪の土地を提供して誘致し、昭和十二年廃止されるまでの約三十年間、北上川・豊沢川を利用しての架橋演習場兵舎として利用されてきた。大正四年には北白川の宮様が陸軍大在学当時約一週間宿営された記憶も残されている。
なお地域の人々からは通称「桜の兵舎」と呼ばれ。桜の大木が数十本もあったことから近在随一の花見の名所でもあった。」

現在はその後に建てられた戸建市営住宅が並んでいます。かなり建物の老朽化が進んでいるので、現在新しい共同住宅形式の市営住宅が建設中です。
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【賢治手植の樹】銘木1
「この「ドイツトウヒ」は、賢治が八景(現桜町四丁目)に羅須地人館を主宰していた頃、自ら植えたと言われる樹です。
賢治は「ドイツトウヒ」のほかに、「ギンドロ」もこの付近に植えましたが、今は伐採されてありません。
なお、賢治には「同心町の夜あけがた」という当時の向小路(現桜町二丁目)を詠んだ詩もあり、地元の人たちからたいへん親しまれていました。桜町二丁目は、賢治にことのほかゆかりの深いところです。」

桜町郵便局のかどを曲がるとすぐ正面に見える背の高い木です。現在生えているのが民家の庭ですので見学などはできませんが、道路から見ることができます。
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【ホレスト】食事処1
花巻そばの直売所のようですが、詳細不明。店先に書かれている通りと思われます。
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