■■■ 奥州街道名なごりの松周辺 ■■■


上館跡 「上館の歴史」説明板 奥州街道なごりの松 旧外台村の歴史 北隣/賢治詩碑周辺 南隣/獅子ヶ鼻城跡
※地図上の記号をクリックしてください。

【地図】
国道4号線と北上川との間にはさまれた準工業と住宅地域。南城地区の公共機関がそろっています。奥州名残りの松近辺には駐車場はありませんので、近辺公共機関の駐車場を利用しましょう。北上川とは高低差があり、かなり見晴らしがいいです。国道4号線と北上川との間の南北に延びる道は旧奥州街道であり、その名残の松やこの筋の北上や石鳥谷には一里塚が残っています。

【地図内地名・施設名】
奥州街道名残の松(おうしゅうかいどうなごりのまつ)、花南(かなん)公民館、南城(なんじょう)小学校、南城(なんじょう)中学校、サンデー
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【バス停】
1.南城
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【奥州街道なごりの松】花巻市指定天然記念物 樹木1

「この街道が整備されたのは江戸時代になってからであり、一里塚もつくられた。
明暦三年(1657)藩主重直の命令で街路を直線に改修し、かつ並木を植えることになった。この付近の松並木は、寛文五年(1665)奥寺定恒が自費で苗木を買入つくったいわれ、延宝二年(1674)枯れた松など一部を植え直している。
国道切替で旧道となり比較的残っていたが昭和四十二年殆どが切られ、僅かに南城小学校の校庭に三本とこの一本をのこすのみである。
宮沢賢治は「青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て」とのべている。」

「奥州街道は江戸時代の五街道の一つで、明暦三年(1657)藩主の直命によって改修された。それ以前は岩崎街道が本道であった。この付近の街道には昭和二十年代まで往時を偲ぶ松並木が残っていたが、道路の拡幅・風による倒木等でほとんどその姿を消し、わずかにこの「がけ」の松と、校庭の松を残すのみとなった。」

この松は「奥州街道」の並木が残っているもの。太い幹が一気に垂れ下がるという他に類を見ない樹形の美しさとともに、歴史資料としても価値の高いものです。

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【旧外台村の歴史】木標2

この道路下から北上川までの地域一帯は、かって外台村(とだいむら)と言い、明治二十二年(1889)外台村・西十二丁目村・下根子村の三村合併によって、根子村が発足するまで一村を形成したいた。「村に人家なし」という全国でも珍しい村であった。
昔、北上川は分流し蛇行して流れていたが、天明二年(1782)豊沢川河口から獅子ヶ鼻までの変流工事によって、現在の流れになったという。下の沼は古川と言い、当時の北上川の流れを今に伝えている。

賢治詩碑のある高台と獅子ヶ鼻と北上川に囲まれた、旧奥州街道の下に位置する田園地帯です。現在も建築物は一軒もありません。
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【上館の歴史】説明板1

平安時代(794〜1191)の十一世紀の半ば、陸奥の豪族として奥六郡(胆沢地方から岩手郡まで)などの一帯を支配していた古代みちのくの名将阿倍頼時が、中央の支配を排除して、地方の自治独立を主張して抵抗し反乱した前九年の役(1051〜1062)の際、政府軍の将、源頼義が、この付近に陣所を置いたところと伝えられ、さらに後年、諸氏が館をつくって住んだ言われている。享保十一年(1726)松井道円の作と目される和賀・稗貫郷村誌には、上記について次のように記されている。
「傳言此処古源頼義公御陣所。然是花巻城安部楯籠之間。政之向陣場歟。基後此村主又居之歟よ。此言上館以南故城為下館矣。」

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【上館跡】説明板1

「この付近より南城小学校にかけての一帯」が上記説明の上館跡地になります。現在、その面影はまったくありません。
下画像はここから見た宮沢賢治の詩碑がある高台(左)と獅子鼻の梟の森(右)です。

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【成田がけのこぶし】樹木2
「奥州街道名残りの松」より約100m南のがけにたっているこぶしの木。道路からも見えます。
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