■■■ ぎんどろ公園周辺 ■■■



※地図上の記号をクリックしてください。

【地図】
花巻市文化会館に付属してるぎんどろ公園を中心とした住宅地域。花巻で行われる各種コンサートなどはこの文化会館で行われ、花巻市図書館など公共施設が点在しています。駐車場は文化会館利用者用無料駐車場は夜間22時から8時まで以外は利用可能。

【地図内地名・施設名】
ぎんどろ公園、ぎんどろの樹、風の又三郎群像、早春の碑、花巻農学校跡地の碑、身照寺(しんしょうじ)の桜、宮沢賢治のお墓、花巻中学校、花巻小学校、花巻市文化会館、花巻市図書館若葉町(わかばちょう)、石神町(いしがみちょう)、中根子(なかねこ)、南万丁目(みなみまんちょうめ)
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【バス停】
1.花巻市文化会館前
2.石神(いしがみ)
3.道地口(どうじぐち)
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【花巻市文化会館】建築物
周辺には「花巻市民憲章」や「母と子の像」があります。

「花巻市民憲章」
わたくしは、花巻市民として自覚と誇りをもち、自然と文化を大切にし、力を合わせて明るいイーハトーブの実現をめざします。
一、じょうぶなからだを持ち 深い知性をそだてます
一、すすんで働き 豊かなまちをつくります
一、ひととふるさとを愛し 世界への眼をひらきます

「母と子の像」
優しく時には厳しくわが子を諭す母の眼差し、寄添うてうなずく子の姿、これこそ人間愛の発露であり教育の源であります。 明日の花巻の担い手である青少年の健やかな成長を願う花巻の母たちが中心となり、永遠に母と子のよりどころとするため、広く市民の協力を得て文化会館の建設を機に建設したものです。

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【ぎんどろ公園】
花巻農学校跡地が現在は公園になっており、地域住民のゆとりの場として利用されています。春には桜、秋には紅葉を楽しむことができます。
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【ぎんどろの樹】樹木1
公園の名前にもなった賢治が好きだったぎんどろ(銀白楊)の樹。公園の中央付近に数本あります。表面が緑色でと裏が白色。夏になり、銀白の葉が風にたなびくと賢治の世界に引き込まれそうになります。
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【「風の又三郎」群像】像1
この群像は、童話「風の又三郎」に題材をとって、ガラスのマントを着て飛びたつばかりの又三郎と、六人の子どもが遊び戯れる様子を現わしたものです。花巻市がぎんどろ公園整備のためと宮沢清六氏より寄せられた基金によって昭和五十六年二九八一)三月に、東京芸大彫刻科の学生、安倍和子、金子健二、栗原俊明、寺田栄に依頼して建立したもので昭和五十九年の第一回本郷新賞を受賞。
「あゝ風の又三郎だ。」「そんだらあつちこっち飛んで歩くな。」「さうさう、さうだよ。僕はどこへでも行くんだよ。」 「岩手山へも行ったが。」「岩手山から今来たんぢゃないか。ゆふべは岩手山の谷へ泊ったんだよ。」「いゝなあ、おらも風 になるたいなあ。」と会話をしているようです。(※引用1)

風の又三郎

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも 吹きとばせ
すっぱいくわりんも ふきとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
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【ぎんどろ公園のこぶし(マグノリヤ)】樹木1
童話「マグノリアの木」より

「サンタ、マグノリア、枝にいっぱいひかるはなんぞ。」
向ふ側の子が答へました。
「天に飛ぴたつ銀の鳩。」
こちらの言が又うたひました。
「セントマグノリア枝にいっぱいひかるはなんぞ。」
「天からおりた天の鳩。」

−中路−

「え、、拐りがたう、ですからマグノリアの木は寂静です。
あの花びらは天の山羊の乳よりしめやかです。
あのかほりは覚者たちの尊い偈を人に送ります。」
(※引用1)

「こぶし モクレン科(マグノリア)」
当地方では「ひきざくら」「せきざくら」と呼ばれる育成の早いモクレン科の落葉高木です。三〜四月 葉に先だって芳香のある大型の花を開き、春の訪れを示すのに最もふさわしい花です。「枝にいっぱいひかるのは天に飛びたつ銀の鳩あの花びらは天の山羊の乳よりしめやかです。あのかおりは覚者たちの尊い偈を人に送ります」と宮沢賢治は賛嘆しています。
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【福祉センターの桜】樹木1
文化会館駐車場の東側に沿って梅が並んでいます。こぶしとともに春を知らせてくらます。
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【早春の詩碑】石碑1
早春

まことのひとびと策むるは 青きgossn銅の脈
わが求むるはまことのことば
雨の中なる 真言なり

この詩碑は、昭和二十四年(1949)七月二十五日、学制改革で花巻農学校から花城高等学校となった生徒会の記念事業の一つとして決議され、翌年の三月十九日に除幕したものです。
生徒会は、賢治が教べんをとった母校にふさわしい碑文を建てたいと「農民芸術概論」の数行を選びましたが選文と碑石の設計について、高村光太郎の指導を受けました。光太郎は、この時「碑文は賢治先生の肉筆とし、広い立場から自由に選ぶこと。詩碑はみんなに親しまれるように人工の美をつくすこと」と話したといいます。
文語詩稿一百篇の中のこの碑文は地元の名工、今藤清六が「生まれて初めて横文字を刻むのには閉口した。」と話したということです。(※引用1)
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【「花巻農学校跡地」の碑】石碑1
「生徒諸君に寄せる」

この四ヶ年が わたくしにどんなに楽しかったか
わたくしは毎日を 烏のやうに教室でうたってくらした
誓って云ふが わたくしはこの仕事で 疲れをおぼえたことはない


農学校の教師になった賢治は、後半の三年問をここで教えました。英語、化学、作物など六学科のほかに、水田実習を担当しました。教え方も自由自在であり、「頭で覚えるより身体全体で覚えろ」と生徒はよく言われたといいます。後に校舎は市内宮野目に移転され、跡地は文化会館、ぎんどろ公園等になっています。そして、「早春」「高原」の二つの詩碑と風の又三郎の群像等があります。(※引用1)
現在は宮野目に移転されています。
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【花巻農学校精神歌】
花巻農学校精神歌

我等ハ黒キ土ニフシマコトノ草ノ種マケリ


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【高原の詩】
高原の詩

海だべがど おら おもたれば
やっぱり光る山 だたぢゃい
ホウ 髪毛風吹けば 鹿踊りだぢやい

文化会館の裏側、市立図書館の入口にあります。

建立者である賢治子供の会から図書館が寄贈を受けた碑である。昭和四十八年図書館の新築移転により、城内から現在地に移した。ここは、宮沢賢治が教師をした花巻農学校の跡地である。
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【実習田跡】
花巻農学校の実習田跡です。現在は文化会館入口前の住宅地となっています。

うつむき歩く賢治像−実習田にて賢治の農学校時代の写真が数枚ありますが最後の一枚は実習田で写されました。大正十四年(1925)の秋と思われますが、田圃にうつむきながら影をひいている写真です。中折帽をかぶりオーバーのえりをたて、ネクタイをはずし、何か苦渋にみちた表情をし、腕を後ろにまわしています。
「おれは四月はもう学校に居ないのだ/恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう」と詩「告別」に書きとめています。生徒には帰農をすすめながら、教師を続けている自分を反省しての決断だったのでしようか。農学校の教師だけでは自分を律しきれない修羅賢治の姿をここに見ます。(※引用1)

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【身照寺のしだれ桜】桜1
ぎんどろ公園からむかうと石段をのぼっていくことになります。身照寺周辺にはしだれ桜が多数あり、開花時期に訪れると桜のなかにお寺があります。
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【宮沢賢治のお墓】石碑2
身照寺の裏側にひっそりと眠っているようにあります。境内にも書いてありますがここは観光地ではありませんので静かに参拝しましょう。

昭和三年(1928)に宮澤恒治(賢治の母の弟)らによって日蓮宗花巻教会所が建立されました。その話がでた大正十三年(1924)ころ、岩手日報へ掲載するための建立勧進文を賢治が書きました。その後、昭和二十一年(1946)に日蓮宗身照寺として同地に再興されました。賢治の没後父も浄土真宗から改宗し、賢治の遺骨も昭和二十六年(1951)ここに改葬されました。賢治の墓前には、生花が絶えません。
賢治の作品には童話でも詩でも法華経精神がにじみ出ています。「雨ニモマケズ手帳」には次の言葉があります。
「いまはたゞ 下賎の療躯を 法華経に 捧げ奉りて 一塵をも 点じ」(※引用1)
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【注意】1
この道路は急勾配(公園側に上り)になっているので、冬期間下りは通行止め。路面が凍っていると滑り出したら下の県道まで下ってしまいます。要注意。
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