あけぼのに向く枝くらし月の梅 沙山
沙山の生涯は浄光寺境内に建立しある「梅之本三世沙山の碑」に刻みある通りなし
沙山江戸にて刻苦勉強中四ツ家於岩稲荷を信仰するに至り、その加護を得て出世の道開かるるに依り明治二年に於岩稲荷を土沢に分神遷座し浜田家代々之を崇敬せり。
昭和二年、浜田源六江刺城址の一角を買い求め社殿を現在地に遷し昭和三年八将神講の要望により、八将神碑外を境内に迎え周囲に植林を行う。
尚富て高橋伊勢次郎、小原無学両氏より建碑の勧告を受け源六之を諾せり。漸くにして建碑を実現す。
昭和60年4月28日 浜田源六 明治2年浜田と改姓
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