丹内山神社について
この神社の創建年代は、約1200年前、上古地方開拓の祖神、多邇知比古神を祭神として祀っており、承和年間(834〜847)に空海の弟子(日弘)が不動尊像を安置し、「大聖寺不動丹内大権現」と称し、以来、神仏混淆による尊崇をうけ、平安後期は平泉の藤原氏、中世は安俵小原氏、近世は盛岡南部氏の郷社として厚く加護されてきたと伝えられる。さらに、明治初めの廃仏毀釈により丹内山神社と称し現在に至っている。
この本殿は、現存の棟札によると、文化七年(1810)に再建されたもので、盛岡南部利敬公の代、当時の別当は小原和泉實吉であり、棟梁には中内村の吉重郎、脇棟梁には八重郎・宇吉が造建にあたったことが知られる。
この建造物の特徴として、本殿の内陣には、権現づくりの厨子が据えられており、正・側面の外壁一面に中国の古事や古事記・万葉風の彫刻、脇障子は唐獅子と牡丹が彫刻されている。県内の社寺建造物の内では彫刻装飾優位の建物で、当時の地方大工の力量を知ることのできる貴重なものであり、平成二年五月に県指定有形文化財(建造物)となっている。
又、本殿の左側山頂付近の経塚(県指定史跡)から全国でも数個しかないと云われる影青四耳壺(白磁無紋の壺、北宋の花瓶)、湖州鏡、中国古銭、経筒など(県指定文化財)が出土しており、平安時代末期頃からの地域の優れた文化の跡が偲ばれる。
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