岩手県花巻市近郊の住田町にある道の駅・種山ヶ原、種山ヶ原(宮沢賢治歌碑)とその周辺を写真や地図で紹介しています。
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道の駅、種山ヶ原歌碑
※
は宮沢賢治関連を示す
道の駅・種山ヶ原、種山ヶ原(宮沢賢治歌碑)
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道の駅・種山ヶ原▽
種山ヶ原(宮沢賢治歌碑)▽
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道の駅・種山ヶ原
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地図/YahooMaps
「道の駅・種山ヶ原」は、県南部と沿岸部を結ぶ国道397号の中継地点、姥石峠にあります。休憩施設「ぽらん」は星をイメージした造りで、町内産の木材を使い、伝統の技を誇る気仙大工の手によって建てられました。豊かな自然が育てた特産物(しいたけ・住田産炭おこしセット・辛味鳥など)が各種揃い、おみやげに最適。
食堂「ぽらん」では、辛味鳥定食・清流豚トンカツ定食・たまり醤油ラーメンなど独特の食事が楽しめます。また、駐車場を挟んだ向側には「峠の茶屋っこ・すみた」がありソバやうどん類を食することができます。
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種山ヶ原(宮沢賢治歌碑)
】
地図/YahooMaps
休憩施設「ぽらん」の横には宮沢賢治作品「種山ヶ原」の歌碑があります。
岩手山、早池峰山、種山の3つの山のことを、宮沢賢治の作品に登場する頻度が高いことから、賢治研究家の間では、「賢治三山」と呼ばれています。
住田町、江刺市、遠野市にまたがる標高600mから800mのなだらかな高原地帯「種山ヶ原」。その独特で、雄大な自然は、永遠に語り継がれる風の精と少年たちの物語を生み出しました。
種山ヶ原一体で一番高い物見山(871m)は、内陸と三陸沿岸の気象の境界。北上山地を越えようとする大気の流れを大きく変化させます。 大正六年の八月、宮沢賢治は、盛岡高等農林学校の同級生二人とともに、土性調査をする目的で種山ヶ原に登りました。賢治はこの調査の旅で、明るくゆったりしている風景が大変気に入りました。以後、賢治は何度も種山ヶ原を訪れ、風景や気象を題材に、「風の又三郎」などの童話をはじめ、多くの詩、短歌を書き残したと言われています。
種山ヶ原
宮沢賢治作品における重要な原風景のひとつが種山ヶ原である。大正六年、賢治は江刺郡土性調査のために、はじめてこの隆起準平原を訪れる。以来、種山は短歌・詩・童話・劇・歌曲などで扱われ、他作品のモチーフともなり、自然と人間の交感をとおして賢治独自の世界が開かれた。
詩「種山ヶ原」は、大正14年の作品である。この詩は、先駆形AとBをもち、その発展形態等複雑である。ここでは「ちくま文庫 宮沢賢治全集T」に拠った。
自然の律動と変幻自在に流動する種山ヶ原に、宮沢賢治も変化することをたのしんでいるかのように感じられる。
先駆形Aの「雲が風と水と空虚と光と核の塵ととでなりたつとき/同じ水も地殻もまたわたくしもそれとひとしく組成され/じつにわたくしは水や風やそれらの核の一部まで/それをわたくしが感じることは/水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ」は、賢治が自然そのものとなる装置こそが種山ヶ原であることを示唆していよう。
詩碑に用いられた巨石は、石英斑岩である。住田町が舞台と考えられている短編「泉ある家」の冒頭に、「これが今日のおしまいだらう、と云ひながら斉田は青じろい薄明の流れはじめた県道に立って崖に露出した石英斑岩から一かけの標本をとって新聞紙に包んだ。」とある。
詩碑建立の熱い思いのなかで、まさに露出していた石英斑岩が町内で発掘されたことは、この日のために土中に眠り続け、ここにいたって詩碑「種山ヶ原」たなり、賢治の世界の体現にめざめたことを告げたともいえよう。
平成13年12月4日
監修者 赤澤義昭
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