日詰商店街
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日詰商店街▽
日詰 レトロ散歩 4 平井邸▽
日詰 レトロ散歩 7 紫波郡役庁舎▽
日詰 レトロ散歩 8 ふれあい広場▽
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習町駐車処
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Yahoo!地図
日詰商店街の北側にある無料駐車場です。大型は不可。
日詰の町の発祥地 習町
変わる町並み
この駐車場は「車置き場」と呼ぱれ、昔風に造られました。紫波町名誉町民野村胡堂の名作『銭形平次捕り物控』にちなみ、江戸の風情を表したものです。この場所にはかつて紫波郵便局がありました。
江戸期から現在まで、このあたりは習町と呼ばれています。かつては写真館、お菓子屋、豆 回腐屋、塩屋、料理屋、自転車屋、材木屋、床屋、鍛冶屋などがずらりと並ぶにぎやかな通りでした。日詰の通りは昔の奥州街道にあたり、明治時代になって国道4号となりました。昭和35年ごろから車の激増で歩行者が危険になり、昭和43年、日詰バイパスができました。その後、町並は一変しました。
日詰の町の発祥地 今から600年以上も昔から約300年間、このあたりは斯波氏という殿様が支配していました。この殿様が桜屋阿部善四郎に命じてこのあたりに城下町を造らせました。これが日詰の町のはじまりです。善四郎は、ここに2000坪の町を開発したといわれ、その真ん中に自分の屋敷を構えました。それは現在の「権三ほーる」のあたりで、善四郎が使った井戸も残っています。
日詰の町は習町を中心に南の方に延びていきました。南部の殿様の時代となってこの道は奥州街道として整備され、盛岡、ハ戸、松前のお殿様が参勤交代で江戸と国元を行列を組んで往復しました。
にぎやかだった町の中心地 江戸期の地図によると、ヒノヤ給油所のあたりに小桜屋北田権四郎という商人が広い土地を持って商売をしていたようです。角には郡山代官所の高札場や市があり、二日町、水分、長岡方面から集まる人や街道を行く旅人でにぎわう交差点でした。「マリア観音」で有名な来迎寺の前は寺小路と呼ばれ、能勝寺(能勝寺は安永7年(1778年)の火災で廃寺)へ登る道は能勝寺小路と呼ばれました。
日詰の町の発展 習町から北は鍛冶町と呼ばれ、日詰の入り口に当たります。天然記念物逆さカシワで有名な勝源院があります。江戸期は北上川の舟運が発達して、川に向かう外港小路もできました。奥州街道は南に延び、美濃屋や井筒屋、高島屋などの大店が軒を連ね、宿屋もありました。旅人が馬を乗り換える郡山駅もありました。しかし、日詰の町は何度も大火事に遭って、その度に町並みも変わりました。商人たちは防火のため土蔵を建てて財産を守りました。町の通りをよく見ると昔の面影を見つけることができます。
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日詰 レトロ散歩 1
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日詰商店街北側に位置する商店建築物。4件ほどの店が並んで利用していたであろう。現在、1店舗の看板が見られるのみ。しかし、ここもこの時点において営業していなそうな雰囲気。(推測)
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日詰 レトロ散歩 2
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日詰商店街東側裏通りの北端に位置するコンクリートブロック造の建築物。おそらく倉庫として建てられたものだが、現在は1階一部を理容室として改築したものと思われる。(推測)
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日詰 レトロ散歩 3
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東裏公園南側にある3棟並んでいる建物群。ご近所の方に聴いたところ、養蚕業の工場跡とのこと。公民館かと感じた部分は事務所だったようだ。
上記、建物の裏側。元々は養蚕工場の事務所だった建物。窓を閉鎖した跡があり、エアコンの屋外機・郵便受けが見られる。
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日詰 レトロ散歩 4 平井邸】
商店街通りの南入口に位置する木造建築。レンガ塀に囲めれた立派なお屋敷なので、良く目立つ。
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西裏通りから見られる上記お屋敷内の倉。ここから見ただけでも立派な感じを受ける。
平井邸
かつて北上川舟運の要衝として栄えた郡山駅に、豪商の平六商店(現在の菊の司酒造)の第12代平井六右衛門が約3年の歳月をかけて大正10年に完成し、内閣総理大臣に就任した原敬を接待するために新築された屋敷です。
岩手県内でも数少ない大正の邸宅です。
(引用:紫波町観光交流協会、http://www.shiwa-kanko.jp/miru/)
この建物は日詰の町中に位置し、12代目伊勢屋六右衛門が大正末期に防火に重点を置いて、和賀の綱取銀山などの持山から巨木を運んで建てたもので、台所などは150人が並ぶ広さなど、典型的な商屋の大豪邸である。
(引用:岩手の歴史的<建築>ハンドブック)
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日詰 レトロ散歩 5
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上記、西裏通りを北に進んでいきます。
正面の看板に「トタン板 赤鳩印」とあり、外壁全面がトタン張りなので、板金屋の倉庫かな?表通りから同一敷地内を見てみると、いろんなものを売っているかなもの屋さんでした。
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日詰 レトロ散歩 6
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上記、トタン倉庫の北交差点から表通りに抜ける道沿いにある米穀店の建物。倉、倉庫、住宅、店舗が連ねっていて、なんとなくいい味を出している。
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日詰 レトロ散歩 7 紫波郡役庁舎
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国道4号線に面する紫波町役場の横に残っている、唯一、岩手県に現存する紫波郡役庁舎。現在は職業訓練境界の事務所として利用されている。紫波町日詰では一番古い建物。
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日詰 レトロ散歩 8 ふれあい広場
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商店街通りにある「ふれあい広場」。平成6年にふるさとの文化を育む街角の広場として「手づくり郷土(ふるさと)賞」を(社)東北建設協会より受賞。中心には「明治天皇聖跡碑」がある。
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ふれあい広場
この場所はもと美濃屋(幾久屋)金子屋という大商人が衣類や小間物の他、味噌や醤油を造って販売していたところで、南側には井筒屋小野家の大きな店があり、酒造りをしていたところだ。明治天皇は、明治9年と14年の行幸のさい、ここにあった幾久屋が昼食の場となっている。
なお、日詰郡山宿の本陣は井筒屋と桜屋が担っていたとのこと。
(引用:街道写真紀行、http://hitosh.web.fc2.com/11osyudo27/429syumachi.html)
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