御台所御門(左画像)
1600年におきた関ヶ原の戦いに南部氏が出陣している手透きの間に、和賀氏は伊達氏の援助をうけ、花巻城を襲撃しました(花巻城の夜討ち)。
三之丸・二之丸は敗れ、本丸の御台所御門にて攻防戦が続きました。お城を守ったのは侍のほか、小姓の新渡戸伝助、仲居の浦子、談義所の松なども活躍しました。翌朝に主力と援軍が到着し、事なきを得ました。
この出来事が南部氏にとって発展する礎となったようです。
初代二所ノ関軍右ェ門墓碑(右画像)
南部侯お抱えの力士で、シコ名を滝ノ上音蔵、さらに錦木塚右ェ門と改め、文化三年(1806)最高位大関となりました。その後二所ノ関初代年寄となった豪の力士です。
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